誕生してから長年皆様から愛されている花菜っ娘の歴史を紹介させて頂きます。
1975年(昭和50年)7月に館山で「花菜っ娘(はななっこ)」が誕生しました。
早春の南房総では、海辺の畑に黄色のじゅうたんが見事に敷きつめられる光景が見られます。そう、千葉県の県花とされている「菜の花」です。房総半島の南端に位置する南房総の館山は、黒潮の影響で冬でも暖かく温暖な気候に恵まれています。その中で、菜の花もすくすくと成長しています。
この菜の花にちなんだお菓子を鴨川の植物園から1975年(昭和50年)に依頼されました。最初花菜っ娘は、菜の花を上から押した蒸し饅頭でしたが、地場産の鶏卵を加えた黄味餡を包んだホイル焼き乳菓として1975年(昭和50年)7月に生まれ変わり現在の花菜っ娘が誕生しました。
花菜っ娘は、菜の花畑にたたずむ幼い子をイメージして作られています。バターの生地、黄味餡の淡い黄色や甘い香りが、皆から愛される乳児を想わせるよう試行錯誤して出来ました。出来上がった花菜っ娘は、ふっくら、しっとりした食感でバターの香りと黄味餡の甘さが口の中に広がります。
花菜っ娘のネーミングの由来は、地元で菜の花の事を「菜花(なばな)」や「花菜(はなな)」と呼んでいたのでそこから名付けられました。
花菜っ娘のパッケージにいる女の子ですが、最初はモデルがいなかったそうなのですが、故社長髙橋の三女が丸顔で赤いホッペ、エクボが可愛いので、周りの人からは彼女の事を花菜っ娘のモデルと言われるようになりました。
故三代目社長髙橋は、房洋堂のキャッチフレーズは「千葉の豊かな恵み、人に思いをつたえる時に」であると言っています。喜びにつけ、悲しみにつけ、その気持ちを伝える時に館山で生まれた「花菜っ娘」を添えて頂ければ幸いです。故三代目社長髙橋の「花菜っ娘」に込める想いです。